同人サークル《栄園亭の囲炉裏》

今年行われるだろうコミケ91に向け、初めて同人活動をする僕達。何もかもが手探りなお使い感覚。 果たして間に合うのだろうか。Twitter @eiennteinoirori  記載された内容に関しては転載禁止でお願い致しますす。

短編 11 【英雄に捧げる】

  ある人物の話をしたいと思う。いきなりの事だがふと思ってしまったので仕方がない。彼は私の友人の友人。なんだかんだで人づてに噂を聞く間柄である。酒を酌み交わすこともごくたまに。そんな彼の1日は至って平穏で、何ら不審な点は無い。朝に家を出て仕事に精を出し、夜になれば帰宅と共に眠りにつく。これを毎日繰り返して日々を過ごしていた。良い人がいる訳では無いが、それは別段彼の顔面に何らかの遺伝子情報の不備によるものではない。むしろ私から見れば上等な部類だとその頬にキスをしたくなる。


  そんな彼のとても興味深い所を知り、私と一緒に彼を愛でて頂きたく、ここに書き示すのである。


『先述誰かが書いた通り、僕は電車に揺られながら仕事に向かう。僕の日課は流行りなもので、携帯を
  通して情報に溺れるのがもっぱらだ。様々な達人動画、過去の偉人列伝を見ては心をときめかしていた。


  今閲覧しているのも、とある人物の功績やそれにまつわる裏話などで、特に好きなのが、一般に語られるものとは全く似つかわしく無く、意外性を持った人物像に対してだった。世に名を残した、あるいは残しつつある人間の、内面に根付く何かを感じるのが堪らない。』


  これだけを見ても既に想像ができるかもしれないが、彼はそうすることによって多人を理解し、その中に潜む特異性を愛し、悦に浸るのが趣味なのである。勿論それ自体は何らありふれたものだが。


『だからと言って僕が当人達になれるとは露にも思っていないけど、頭の中で演じられる英雄譚に文句を言われる筋合いなんてないのだから、僕はせめて楽しませてもらってる』


  しかし、残念ながら彼のおとぎ話を一度だけ聞いたことがあり、そこで分かったのは、その中に本人はいないという事だ。お分りだろうか、それは彼自身の羞恥心やら現実の勘定が、己の妄想にすら関わるのを拒んでいるのだ。何とも無念で悲哀の篭った素晴らしき信条。歯に浮く憧れを抱いてしまう。掛け値なしに。


『今日も座席の定位置で、僕は携帯を弄り漁っている。会社に着けば、どうせ僕は差し当りの無い善人を演じる。あれを素でできるのはちょっとした異常者なんじゃないかと思う。どうしたら心の底より下らない話に笑いあえるのか分からない。たまに後輩から相談事を持ち込まれるが、それらしい事だけを言って躱す。』


  常日頃真剣に物事を受け止める必要は無いが、それにしても少々適当過ぎるのではないかと思う。月並みだが各々の立場と成り立ちを理解すれば、万事それらしくなってゆくと思われる。こればかりは好みの問題としか言えないけども、要は原因と理由を探る事のない結果が、彼のストレスに繋がっているのだろう。


『下らない事を考えているのが嫌になって、携帯から顔を上げてしまった。現実に繋がる視界に見えたのは、僕と同じ様に画面を貪る乗客達。少しも変だと疑わず、もし彼ら全ての人に熱い羨望を注がれたのなら、どんなに気持ちの良い事か。


  電車が終点に着くと、立ち上がって車内から出る。ホームの階段を歩くと、その先で1人の老人が若者に手を引いてもらいながら登っていた。もし、あの若者が僕だったのなら、朝の駅で僕はヒーローになれたのに。何故もっと早く電車がつかなかったのかが悔やまれる。


  すると上着に入れた携帯が震えて我に帰る。画面に書き出された上司の名前を確認し、通話を始めた。応じる矢先にいつもの自分を演じていた。そんな自分がとても可笑しくて、握った手すりに力を入れた。』


  誰もが主人公にはなれずとも、それを僻む事にすら躊躇いを抱く彼は、私から見て十分にヒーローであった。願わくば彼に試練を、そして惨めな劣等感を手に入れて欲しい。そう思いここに記す。