同人サークル《栄園亭の囲炉裏》

今年行われるだろうコミケ91に向け、初めて同人活動をする僕達。何もかもが手探りなお使い感覚。 果たして間に合うのだろうか。Twitter @eiennteinoirori  記載された内容に関しては転載禁止でお願い致しますす。

短編 16 【本田さん】

  店のドアが開くと一人の男性が入ってきた。上海パブと銘打ったこの店の女の子達が一斉に迎えの声が上げる。夜の7時、決まって彼はここを訪れる。カウンターのママは彼に笑顔だけで奥の席へと促していた。


  ママは私におしぼりと箸を渡して目配せをする。ここ最近の彼のお気に入りは私で、四ヶ月経つ新人である私にはそういったお客は有難いものだった。


  手に持った物を彼の前に置いて隣に座る。始めに飲むのはビール。これもいつも通りで待たずにやって来た。普段ならばお通しを出すが、彼はそれを何度も断ったらしく何も置かれない。


  この時間ともなれば何処かの客がカラオケを楽しんでいる。流れるテロップと客の歌い声をつまみに彼の席は沈黙が漂うのだった。しばらくそんな空間が続くが、その長さも付き合いが重なれば傾向も読めてくる。と言っても大した事では無いのだが、彼の飲む酒、最初の一杯その減り加減で判断出来るのだ。つまり疲れが酷い時は早く、違うのであれば遅い。聞いてしまえば疑わしくなるが大抵そんな所の変化で分かるのだ。


  今日は割と疲れがある様で、早々にグラスが空になっていた。二杯目以降はウーロンハイを頼むので、私はグラスを下げつつママに合図を出した。一度後ろ振り返り彼を見て問いかける。
「焼きそば?」
「うん。」
酒と料理は一緒に出されるのが好みの彼。直ぐには出来上がらないので、私は席へと戻る。いつの間にか習慣になったこの時間の会話。この機を皮切りに色々と話し始める。


  酔いが回り語られる内容は、その殆どが職場での愚痴か通勤中の雑事。一番面白いのは彼のギャグ。中でも私のお気に入りで、リクエストを頼むものが一つある。彼の勤める職業は自動車製造業で、それも日産に属しているというのを会ったばかりに聞かされた。それを踏まえて彼はいつもこう言うのだ。
「僕はね、日産だけど本田なの。」
酒が無ければ成り立たないのを知ってか、本人もそう簡単には話さない。だがタイミングが合うと、これが中々ハマるのであった。


  二人でポツポツと話していると、ようやく出来上がった注文が並べられ、彼はまたしばらく黙るのである。


  私達を除いた店内が盛り上がる。別段そこに浪漫などありはしないが、不思議と穏やかな気分になってゆく。


  ある時店の女の子達から聞かされた話で、彼の事を注意された事があった。こういった所に来る以上、男女の仲が自然と育ってゆくのは仕方なく、特に私の様な新人ともなると自然に皆がこぞって近寄ってくる。

 
  そんな欲望に彼も漏れる事なく、うっすらと見える下心に皆からは、気をつけなさいよーと言われたのが先月。しかしそれからほぼ毎日彼と出会っているが何の進展もない。別に私からなにか起こす事はしないが、こうまで平穏だとちょっとした疑問も出てくるというものだ。加えて私で何人目かは知らないが、そう言ったアプローチが十年も続くとなれば、報われない努力と笑えないので尚更だった。


  時計を見ると既に9時を半も過ぎていた。隣を見れば出されたものの全てが綺麗になっており、彼は私に一言告げると手を握り伸ばしてくる。


  私はママの所に行き彼の勘定を済ませ、お釣りを渡しに戻った。財布をしまった彼は立ち上がると、ドアへと歩いて行く。彼の元にママが立ち寄ると腕を軽く叩いていた。そして小さく笑顔を見せ、店から一人の男が去っていった。


  彼を見送った私は尿意を催しトイレへと入る。用を足そうとポーチを洗面台に置くと、中に入った携帯が震えていた。取り出して電源を入れる。画面に表示された内容にちょっと驚いてしまう。
『今日も楽しかったよー☆ミ』


  あれはあれで悪くないんじゃないか。細かな気遣いに私ははにかみ、鏡でお色直しをするのだった。