同人サークル《栄園亭の囲炉裏》

今年行われるだろうコミケ91に向け、初めて同人活動をする僕達。何もかもが手探りなお使い感覚。 果たして間に合うのだろうか。Twitter @eiennteinoirori  記載された内容に関しては転載禁止でお願い致しますす。

短編 14 【川の跡】

  帰路を歩く。長く伸びた道は緩くカーブを描いて僕の家へと続いている。地面は赤いタイルで舗装されて、その両脇には植込みが並ぶ。現れるカーブは何度もその軌道を変え、行く先を隠すが通い慣れた僕にはその後の風景が思い浮かぶ。


  何でも父親が言うには、この道は小川が流れていた所を埋め立てたのだとか。幼い頃の僕に対し満足そうに語っていたのを覚えている。その時は学校へ行く為に、成長してからは駅への近道として。そんな自分の人生に常とあった道。


  ある日のこと、仕事の為に駅へと向かっている途中。職場から電話が舞い込み、急遽休みとなってしまった。既に駅の方まで来てしまった僕は、時間を確認すると溜息を吐いて元の道を戻る。急なこととはいえ、折角なのだから何処かへ出掛けでもすればよかったのだが、その事に気付いたのはこの道に辿り着いた時で、ここまで来てしまうとそんな気も削がれてしまった。


  駅と自宅の半ば、その中で僕は暖かい気候と緩やかな風景に立っていると、不意に時間の感覚が薄くなっていく。近くに大きな通りも無くちょっとした風の音が聞こえた。草木が揺れ、波打つのを見るのは久しぶりで、爽やかに流れる緑が綺麗だった。しばらく茫としながら歩いてみる。すると植込みの合間、一つのベンチに老人が腰掛けているのが見えた。


  くたびれたカーキのハンチング帽、それに似合うだぼついたジャンパーを着込み、立てた杖に両手を乗せて風景に溶け込んでいた。ただじっとそこに佇む彼は目を閉じていて、もしかすると穏やかに寝息を立てているのかの様に。頭に乗った葉は彼がそこに長い時間座っていることを示す。朝に通った時、彼はそこに居たのだろうか。


  僕はそんな光景に興味を惹かれ少し考え込む。普段ならば機会すらない状況と降って湧いた好奇心。この道を通る人間は一体どの様な暮らしをしているのか、自分の知らない者に尋ねるのは気が引けたが、何かの縁だと思えば勇気もでてくる。


  そして恐る恐る近づいてみるも、知らぬ間に自分の姿が怪しいと気づき、恥ずかしさを誤魔化しながら慌てて姿勢を正して声を掛けた。
「あの、少し伺っても宜しいでしょうか。」


  そこから会話を繰り返し彼との時間を楽しむと、幾つかの事が分かった。彼の齢は九十を過ぎており、だが事実に反して精力的に話す言葉には力を感じた。その時代ともなれば当然戦争を経験しておるだろうから尋ねてみると、やはり旧帝国軍人で戦地に赴いた事があるらしい。しかし工兵隊に属していた彼は従事した任務中に戦闘に遭い、結果負傷した。その怪我を元に早い段階で後備役に回された後、終戦を迎え無事内地への帰還を果たしたという。


  その後の人生は家業を継ぐ事になったのだが、色々と面倒があったらしく、その辺りは詳しく話すことは無かった。奥さんとはとうに別れていて、半世紀近くひたすら勤勉に働いた彼は、息子に己の後を頼むつもりだったが、それも訪れることは無く遂には望み叶わず店を畳む事になった。そして十年の歳月をここにやってきては日光を浴びて暮らしている。


  ある種職業病と言えるのかもしれない。1人で働いてきた彼にとって今更何かに打ち込む気力など無く、いやむしろそれ以外の術を知らないのかもしれない。それが彼にとって苦痛に感じられるかは分からないが、少なくともこうして逞しく生きているのかもしれない。


  望まぬ孤独を抱えた彼と別れを告げて、その場を後にする。正直一人目からこんな重い気分になるとは思わなかった。それでも話を聞けたのは幸運だろう。こんな事でもない限り、他人の人生を考えさせられるなどないのだから。


  そんな風に気持ちを切り替えていると、前から一人の若者がいるのに気付いた。彼は道の真ん中を歩いている様だが、どちらに向かうでも無くノロノロと往来していた。その背格好は僕と同じくらいでスーツを着込み、携帯と睨み合っている。


  その姿に可笑しさを覚え、声を掛けてみる。
「すいません、どうかされましたか?」


  先程と同じ様に相手とのやり取りを経て、彼の事を知る。何でも今彼は就活生で、今日はこれから面接先へ行こうとしていたのだが、どうにも不安が高まって極度に緊張してしまっているのだとか。足取りが重そうな彼にもの懐かしさを抱き、彼を宥める。どうやら彼は、上京をするつもりでこちらの会社の求人に応募した。その為この近くにあるウィークリーで間借りをしながら生活をしていると。やや学生らしい物振る舞い、金銭の面でも苦労しているのだろう。こうなっては長く話し込むと彼に悪いと思い早々に切り上げると、彼は一度僕に礼を述べ視線を前に向けると覚悟をもって立ち去っていた。何だかこちらまで新鮮な気持ちになる。


  最後に出会った人物は、五十を越えた主婦で声を掛けるのは再び躊躇われたが、自分なりに目的を決めた以上行かぬわけにはならない。
「あー、突然すいません、話をお聞かせ願えないでしょうか。」


  彼女との会話には大分時間を労した。確かに井戸端会議の延長だったので面白い話をしてくれたのだが、得てして愚痴ばかりなのがどうにも。だが良く良く聞けば、一見何も煩い事の少なそうな界隈でも、色々と複雑らしく特にその内容が、一人目の老人へと差し掛かった時、僕は思わず聞き込んでしまっていた。


  彼女によれば、確かに彼は一徹者として有名であったが、一時期家業の事について息子と揉めていたらしい。それは警察沙汰にまで及び、静かな日々を過ごす彼女たちにとっては、大層面白いネタだったのだろう。彼が語らなかった内容がこうして、他人の口から漏れるというのは色々と思い知らされる。これも主婦を努める者に許された特権かもしれない。


  気付けば随分と話し込んでいて、昼を過ぎた途端何とも素直に僕の体は反応を示した。日差しは強く肌を焼く。今日はこの辺で終わりにしようと彼女に会釈をする。渋々と見送ってくれた彼女の視線を背中に感じ、一度家へ帰ろうかと思案する。母は驚くだろうが、欲求には逆らえない。とりあえず足を動かし携帯を取り出した。


  それにしても、道一つとっても歴史があり、そこに住む人間も変わりゆく。それは何かに記される事は無いが、こうやって語り継がれて行くのだと感慨深くなった。その情報に優劣はなく、漠然と広がっては消えてゆく。


  いつの日か僕もその一つになったりするのだろうか。そんな事を考えては我に返り、まずは自分の人生を全うする事が何よりなのだと戒めつつ、今日も僕はこの道を通る。