短編 8【始めの記憶】
長い人生の間、いつまでたっても忘れられない記憶が一つある。どんな時でも不意に、脳裏へと描き出される光景だ。朝も夜も構わずにやってくる。
幼児の頃、目の前で人間が轢かれるのを見た。それは特別大きな事故ではなかったが、突如現れる車の下へ、なんとも簡単に吸い込まれてゆくその形がくっきりとしていたのである。当然その衝撃は凄まじいものだったが、目の当たりにした瞬間、意識できる全ての音が消えて、赤い色だけが残った。
その赤は、前後するテールランプの所為だったのかもしれない。つまり、記憶の色を覚えたに過ぎないのだ。
強く握られた右手。父の体温が伝わって全身から汗を流す。頭か胸か、吐き気と共に訪れる感情は、恐怖と焦りでバランスを保つ。涙腺が緩んで喚き散らさなかったのは、幼い知識が理解に追いつかなかったからか、その逆か。ただ漠然と我慢をしていた気もする。
後に覚えているのは救急車のサイレン。唯一明確に聞こえた音はそれだけだった。
初めて知った何かの死という出来事。誰かに説明をされた訳でも、求めた訳でも無かったが、強烈に染み付く記憶は、今でも赤く心を照らす。