短編 2 【昼下がり】
朝の寒さが緩やかになり、陽射しが柔らかく通りに降り注いでいる。懐に収めてあった紙パック、外付けのストローに指が当たり弄ぶ。サイズの合わぬジャケットは20年も前に買い求めた物で、当時より痩せ細ってしまった今の自分が着ればぶかぶかとだらし無く見られるだろう。
休日に出歩く事が日課となっていた私は通り過ぎゆく人々を横目に、治まり悪く伸びてしまった髭をさすりながら近所の公園へと足を向けていた。
供になって幾久しい家内とは仲が曖昧で、険悪とはいかぬがどうにも居心地悪く時間があっても誘われぬ限り一緒になってどこか出掛ける事など無くなっていた。これも長らく続いてしまったものだから、始めは気を使い私を立てていた彼女も次第に愛想を尽かしたのか、近頃は交わす会話もめっきりだった。
得もなく考えているといつの間にか公園の入口を抜け、いつもの座るベンチの前に居た。休日にも関わらず人気の無いこの場所。そこは住宅街の中に産まれた隙間にあって、当然こんな日にわざわざ訪れる者も居ないと思う。
だが今日は珍しいことに先客がいたようで、割合大きな砂場の奥に小柄の男の子が座り込んでいた。誰かがいたとて別段やかましい訳でもなければ、私はそのままベンチに腰を下ろした。煙草を咥え煙を吹かすとしばらくは茫と空を見上げる。
その内に時間の感覚が鈍くなって行く。なってゆくのだが、如何せず向こうの人影が気になってしまい落ち着かない。顔は動かさず彼の方へと視線を移せば、相変わらず男の子は微動だにしていなかった。
特にその理由を知りたい訳では無いが、一点を見つめ続け佇む幼子というのが可笑しく、これは一興がと観察しようと思った。
身じろぎ一つしない彼と、同じ様な自分。この場を誰かが見ていたならば月並みにもあらぬ誤解を招いたかも知れない。
すると、彼の見つめる先に茂る草木から一匹の猫が現れる。なるほど、彼はあれを待っていたのだ。辺りを確認する仕草の後に、男の子の姿をみるとゆっくりと近付いていった。あの年頃ならば、小動物は玩具と変わらぬものだろうと思っていたが、猫に触れる彼の手はとても丁寧であった。恐らくは見知った仲なのだろう、そう思わせる程に彼等はじゃれ合っていた。
世間の流れに嫌気がさしてここに来てみれば、そんなものとは縁遠い風景を見た。私は懐から紙パックを取り出すと包装を剥がし酒を呷る。
いつもは空を仰いでいるだけで終わる筈が、思わぬ肴に巡り会えた。微睡む視界に戯れる彼等は無邪気だ。胃を焼く感覚に、いつからか一人でいることに慣れてしまったのかっと羨んでしまう。
すんなりと思い出たその後悔と疑問。それは素直に酔ってしまったからなのかと笑みが零れる。長らくこんな気持ちを味わってはいない。
ぼんやりと眺めていたら、猫がこちらをじっと見ていた。妙に冷静な眼に、あんな風に自由気ままな奴が私の所にもいたんだと、遠い日々を回顧した。
顔を洗っている猫の前に子供の手から何かが置かれた。何度かその匂いを嗅ぐと、躊躇わず口に運ぶ。その様子を見ていると気分が安らいで、忘れていた記憶が次々に思い出された。自分を押し殺し、隠し続けていたものが見えた気がする。
空になりつつある紙パック、飛び出たストローを中へと押し込んだ。立ち上がり一つ深呼吸をして彼等から離れる。屑篭に放り投げると携帯を握る。画面が光り、その場を後にした。
晴れた休日の公園。陽気で穏やかな昼下がり、私の後ろには子を呼ぶ親の声が聞こえ始めていた。